インドネシアでの海外駐在は三度泣く
インドネシアでの海外駐在は三度泣く
インドネシアのジャカルタあたりに駐在するとよく聞く話なのですが、インドネシアに駐在員として派遣された40代半ばから60代前半位の方のストーリーとして、非常に多いパターンを物語っています。
人によっては「2度泣く」という人もいますが、これは家族帯同の奥様のケースでして、単身赴任の男性の場合は3回と言われています。
今日はその話を書きたいと思います。
1度目の涙
インドネシアのジャカルタあたりに派遣された日本人は、最初は非常に抵抗感を覚えます。なぜならば、イメージ的にインドネシアは発展途上国であり、インドネシアのことを知っている人からも事前情報として、渋滞がひどい、大気汚染がひどいだのマイナスでネガティブな情報が多いからです。
単身赴任でも、家族帯同でもインドネシア駐在の辞令が出たら、インドネシアに赴任したくないため泣いてしまうと言うのが1度目の涙です。
2度目の涙
いざインドネシアの駐在になって、ジャカルタに住んでみると大変住み心地が良いことに気づきます。
日本食はスーパーマーケットのパパイヤで安いお弁当やケーキが買えて、市内では和食店も多いですし、味も日本と同じような感じで遜色がありません。ジャカルタ市内に住むことができず、工業団地の近くに住んだとしても工業団地内には飛鳥(店名)などの日本食レストランがあるため、食事には不自由しません。
ちょっと飲みに行きたいなと思ったら、ブロックMに行けばいくらでも日本と同じような飲み屋があります。
さらに海外駐在になると福利厚生の一環で、ゴルフ会員権が与えられますので、週末になるとロイヤルジャカルタゴルフクラブや、マトア・ナショナルゴルフコースなどジャカルタ郊外のゴルフコースに行って、普段、車移動で運動不足になった体を解消するために爽やかなゴルフコースで気持ち良いウォーキング運動をすることができます。
キャディーさんは若くて可愛い子が多く、日本と違って1人でゴルフバックやクラブを持つことはなく、何でもやってくれる王様ゴルフをすることができます。
ゴルフ会員権を持っているため、ゴルフも安くプレイすることができます。またマッサージも安く、ゴルフが終わった後にマッサージ屋に行くのも楽しみの1つです。
日本人男性駐在員の40代半ばから60台位までの方がインドネシアで派遣される場合、単身赴任の方が比較的多いです。このような環境の中で現地でインドネシア人の若い子と知り合う機会も多く、なかには恋に落ちてしまう人もいます。
そのきっかけは様々ですが、メイドさんというパターンも多々あります。
インドネシア駐在になると、掃除や洗濯などの身の回りの世話をしてくれるメイドさんを雇うのが一般的です。メイドさんのメイドさんにかかる費用がとても安いためです。会社によってはメイドさんの費用まで出してくれるところもあります。
このようなメイドさんは、ジャカルタ以外の郊外から出稼ぎできているので、住み込みで働いていることが多いです。つまり単身赴任の男性の人、屋根の下ひとつ屋根の下一緒に暮らしている状態です。その気がなくても一緒に住んでいるインドネシア人のメイドさんに手を出してしまうことも多々あるそうです。
ですので理性の強い日本人の方は、そうならないようにわざと年寄りのメイドさんを頼んで派遣してもらったりしています。
一方でメイドさん自身も実はまんざらでもなく、日本人に手を出してもらって子供でもできてしまったら一石二鳥、玉の輿が約束された状態なので、本人もそれ狙ってアプローチしてきたりするケースもあります。
私の知り合いの猛者は、自分の部屋に3人の女性をメイドさんみたいに使っていたという方もいます。
そのような感じで第二の新婚生活を営むことができるわけですが、インドネシア駐在が終わるとこの生活に終止符を打つ必要があります。
その別れを惜しんで泣いてしまう。これが2回目の涙です。
3度目の涙
楽しかったインドネシア駐在から日本へ戻ると、夢の中から現実に戻された感覚になります。
心の中に虚しさが残る一方で、インドネシアの優しく暖かい空気と雰囲気が忘れられず、インドネシアで再びできる働きたいと思うようになります。いろんな伝手を使って、1年もしないうちに会社を退職し、再びインドネシアへ向かうわけです。
その際には、前回、インドネシア駐在で懇意にしていた伴侶と再会することになるわけですが、それが3度目の涙になります。
これがかなり多いパターンのインドネシア駐在物語とされており、現地では語り継がれているんです。
フィリピンやベトナムでも多そうな感じですね!(笑)
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